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「[九代] 石翁宗室 不見斎」
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[九代] 石翁宗室 不見斎

 天明の大火で焼失した今日庵を建て直し、中興の祖、一橙宗室が築いた新たな道統をしっかりと後世に託した不見斎。彼は幼少の頃からその早熟した才能を見せ、周囲を驚かせました。記録に残るもっとも早い不見斎の仕事は、父一橙宗室が営んだ宗旦百回忌の百会の茶席でした。当時不見斎は玄室を名乗りましたが、このとき、ほとんどの会で玄室が花を生けたとあります。当時数えで13歳。現代でいえばわずか11歳で歴々が集う大きな茶会で花を生け、その早熟した美的感性を見せ付けたのでした。
 一橙宗室が七事式の制定など茶道普及に邁進できたのも、玄室の確かな才能と成長を見て安心したからに違いありません。長じて代を継いだ不見斎の功績として最大のものは天明の大火からの復興ですが、その翌年には半年にも及ぶ利休二百回忌を成功させています。ちなみにその席で、当時20歳の長男・認得斎が花を生け、次男が薄茶を点てており、不見斎が息子たちにかける期待がいかに大きかったかが分かります。

利休流の侘びた質実な品と、軽妙でつややかな好み物に分かれる

 不見斎の好みを知るためには、不見斎が禅に通じたことも見逃せません。利休以来、と禅は密接な関係にあり、その思想は主に茶杓や掛け物に多く見出すことができます。しかし、不見斎は禅の言葉を茶道具全般にまで押し広げたことで後代高く評価されることになりました。また、不惑にして連歌に没入したことも影響があり、連歌の“冷え枯るる”が茶の湯の侘びに転じたため、連歌に通じることは侘びを捉え返す作業でもあったのです。従一位権大納言の日野資枝卿を連歌の師とし、晩年まで親交を交わしています。
 その好みは、利休流の侘びた質実な品と、軽妙でつややかな好み物に分かれます。前者で特に有名なのは型物の八角香合です。これには禅の言葉から着想されたものと伝えられており、寺社建築のようなテリ(反り)とムクリ(盛り上がり)が緊張感をかもし出しています。また、苫屋形とも呼ばれる松ノ木香合もよく知られており、多くの写しが作られています。 後者の軽やかな作では、赤楽のつぼつぼ茶碗、同心円を描く独楽様の棗や盆が有名です。また、懐石道具一式の好み物が残されていますが、一式全体で好み物とするようになったのも不見斎に始まると言われています。

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